好きなことを書く 日常

告白

投稿日:2022年1月29日 更新日:

告白する。
いや、むしろ懺悔に近いのかもしれない。
 
みてみぬフリをしている。
 
 
 
現実と残高と
そしてコロナ関連のニュースを。
 
 
 
こんなに誰もが同じ事態に向き合うことは
今までなかったと思うのだけど
意識的に向き合わないようにしてる。
 
 
 
「ライブにきてほしい」
と言うことすら叩かれるのではないか
 
そもそも
ライブをすること自体叩かれるのではないか
  

自分の行動が許されないのではないか
大きく言えば自分の仕事が。
 
  
かと言って
ライブをしないという選択をしたときに
誰かなにか責任をとってくれるのか
 
 
くれない。
 
 
 
それはお金とかそういう面ではなくて。
 
 
 
私はとても恥ずかしい
こんなことをブログに書くことも恥ずかしい
 
誰かの目が怖くてコソコソと生きている
 
 
お客さんのだったり
知らない人だったり
あまつさえ、メンバーのだったり
 
 
常識と違うことをするというのを
嫌う人たちが世の中には一定数いる
 
 
あたりまえ。
みんな安全で安心でいたいから
迷惑をかけて攻撃されたくないから
 
 
 
でも物を作る人がそれでいいわけがない
 
 
人の目を気にして言いたいことを言わないというのは
もうどうしようもなく恥ずかしい
 
 
 
こないだビートたけしがコロナについて生放送で
「コロナは風邪だ」と発言していたのを見た
 
 
正しいとかどうかじゃなくて
自分の意思をもつこと
選択をするということ
 
 
「周りが」
じゃなくて
「自分は」どうなのかということ
 
 
こんな責任を持つ人がちゃんと言いたいことを言えてるのに
なにも持ってない自分が何も言えないことが
どうしようもなく恥ずかしくなった
 
 
 
ライブをする
たくさんの人に聴いてもらいたい
たくさんの人にみてもらいたい
 
たくさんの人に来てもらいたい
 
 
 
それすらを言えてない
 
 
 
それなのにライブはする
 
 
なぜ
  
  
したいからという理由で?
決まってるからという理由で?
大丈夫だろうという言い訳で?
  
  
  
法にも触れてない小さいことを
世論か好感度かわからないことを気にして
発信するのをためらっている
 
 
  
ためらっているうちに
どんどん動けなくなっていく
 
 
 
発信っていうのは澱んでいく
 
 
しなければしないほど
どんどん溜まって足は鈍って遅くなって
しまいには止まっていく
 
 
すべてが言うまでもないことになっていく
そうして自分がどんどんいなくなっていく
 
 
 
 
「自分のせいで人が死ぬかもしれない」
 
 
 
目に見えないものを
見えてるふりして
見ぬふりをする
 
 
誰も人生の責任はとってくれない。
国も家族も友達も。
 
 
自分のことは自分で決める。
    
   
   
   
  

    -好きなことを書く, 日常

    執筆者:


    1. 匿名 より:

      見にきてって言われなくても、見たいから行きます。自分の意志で。
      自分がウイルスの運び屋になってしまったら、ライブハウスにもアーティストにも申し訳なくて、それはもう毎回びくびくしてるけど、でも………行きたいライブは行く!!!って決めてます!

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