「何も聞こえない」


sakubun

「俺はーなぁんとかーきょーうもぉーいきてるー」

彼がヘルメットを被りながら歌を歌っている。

「危ないから本当にやめなよ。」
何回注意しても、彼は「だいじょうぶ」と適当に言うだけで
音楽を聴きながらバイクに乗るのを辞めてくれない。
今日はさっき作ったばかりの新曲を聴きながらバイト先へ向かうらしい。

「バイクに乗っている時が一番集中して音楽を楽しめるんだ。
歌なんかも大声で歌ったりしてさ。お前だってあるだろ?」

そう言われると強くは言えなかった。
私だってバイクには乗らないが、自転車に乗りながら音楽を聴いたり
気分の良い時はたまに歌ったりもするからだ。

「とにかく、気をつけて行ってきてよね。」「夕飯までには帰るよ。」


彼がバイトに行った夏の午後。私はいつものようにTVをつけ、ソファに横になった。
TVでは韓国人が日本語で歌を歌っていた。
プロってすごいなーきっとたくさんの人に届いてるんだろうなー、
私にはわからないけどさ、もしかしたら彼の趣味の延長みたいな鼻歌も、
いつかどっかの誰かに届いて感動されちゃったりすんのかなー、ふふふ、とか
どうでもいい妄想を巡らせているうちにいつのまにか眠りについていた。


ーいつのまにか空は黒くなっていた。
韓国人はいなくなり、くだらないバラエティアイドルの甲高い声がリビングに鳴り響く中、
さらに一際高い音がリビングに響いていた。いつから鳴っていたのだろう。

寝起きの頭を起こすようにあくびを一つし、見慣れた携帯を見ると、
見慣れない番号からの着信だった。

電話は警察からかかってきていた。



その日のことはあんまり覚えていない。
思い出せるのは壊れたiPodと
もう目を覚まさなくなった彼の最後の顔、

そして「夕飯までには帰るよ」と言った彼の最後の嘘。



彼のいなくなった夏の午後。TVは消えている。
蝉の声以外は、何も聞こえない。

それでも聞こえてくるのはもういないはずの彼の声。

「今日も生きてる」と歌っている。

私だけに聞こえるように。



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